言葉がうまく話せなくなってる。
思考というものは言語を使った現象なのだから、言語が不確かになれば思考も不可能になる。
破綻。
幸いにキータイピングはまだ可能なようで、あやふやな記憶を、この数ヶ月の記憶を確認する道具になった。
7月。姉の結婚式。
7月は患いに伏せていたのを覚えている。喪失の始まりはそれではなかったとしても、大きなきっかけになったのだろう。
言葉を喪失して思考を停止したら、人は生きているといえないのか、と考えてみたいところで思考が出来ない私には結論はなし。
曖昧な記憶を定着させるための言葉というのもなければ、ファジーな感覚だけで8月を辿れば。不安と悲しい気持ちだけがあって、ハウリングしているような音が頭を埋め尽くしていたと、思われる。伏せたままに夏は終わっていた。
水を汲むのも躊躇われ、紫煙だけを口に含み、けれど眠って見る夢の中では確かに彼と会話をしていた。