価値は見出す人の中にあって、命に宿るのでしょう。
価値を見出す物には熱を感じられます。
星月を眺める価値、味香を楽しむ価値、大切な物の価値に好きな物の価値。
一人で価値を見ていても意味の無いことも事実あります。
世界に一人のコレクターは寂しいものですが、価値の共有は人の根底にある欲求の一つでしょう。
一つの価値を失う事を受け入れるかと悩む事がありました。
やはり、少し寂しいのですが。客観視すれば悩むのも馬鹿らしいのかもしれません。
価値を見出すことを失う事には実際には何も失うわけでもないのです。
そう、自分に言い聞かせ。さようならできるのが、大人でしょう。
逆に、価値を見出すことも実際に何も得ないのです。
それでも、価値を知って価値を求めます。私はもっと知りたいのです、欲しいのです。
子供には当たり前すぎる事だけど、意識してするならばそれもまた大人に成る事でしょう?