夜、いつの間にか降りだしていた雨。彦根に帰れば豪雨といえるほど。
お盆として、それなりに家族とのイベントやらで忙しくした日でした。
家で契約書を書いたり、赤ちゃんを抱っこしたり、トイザらスに行ったり、北京ダックだったり、雨の夜の運転だったり。
実際には心あらずに、表情から肩を凝り頭痛していたのだけれど。
信じることとは。
信じられるものはなにか、と昨夜の話題で議題。
損得や利害からの関係。これはわりと信じやすい。
信じられると信じているものは、愛。けれど、愛の定義は進行形で検討しているので今直ぐに纏まった言葉にはできませんでした。
愛とは。
古い私は、以前の私は愛とは好奇心である、と定義していました。そんな時分もありました。
その発想は拡張され、好奇心・興味は愛の一つの形だけれど、愛はそれだけではない、と考えるようになっての現行の私です。大事にすること、それが愛の根源的なものだと、気づいたのはまるで最近でしたので。
根源的にそうならば、興味をもち拘ることが愛であるとは、なるほどにと納得するのでした。一部分的な愛の形式だったのでした。
大事にすることとは。
気にかけて、なおしたり癒したり労ったり、そっと気をつけて手に持つことかなと思います。
割れ物のように繊細なそれは、確りとした場所で、そうっと触ればいいのでしょう。
頑張って確りした場所を確保すること。幸いに私の手は柔らかいので、不器用なのが心配ですが、傷つけないように触れる用に留意して。
あいをかんじられるよう、あいをひょうげんできるように、感覚を磨きます。