障害について調べているうちに思考はどんどんとcomplexな方向へ。
ダウン症。その障害の発生原因を調べます。
染色体異常についてわかってきます。
染色体異常に対する効果的治療は出生後はあまりないところが現実です。
ではどうしようもないかといえば、そうでもありません。
出産前に染色体異常は知ることができます。
検査方法を調べるとそのリスクも。
個人的優生学的にチクリとするかはまた、また大きな議題。
そして、染色体異常の発生を統計的にみますと、高齢出産との関わりに突き当たります。
現在の医療技術では治療はできませんが、生まれる前に病気だと診断することができます。
先天性の遺伝疾患である、ここでの例のダウン症の方の平均寿命は、また医療技術の発展により伸びています。
社会は障害者のより良い生き方を保証するためにも存在しています。
文明は弱者を生きさせるようにしました。
社会が超人を生み出すこと、個人が超人を生み出すこと。
線引き問題でしょう。
科学は人の為にあるべきです。では人の定義はどうするのでしょう。文明は自然淘汰から人類を切り離しました。異常でも生きられる社会が出来ました。けれど、それは不自然なものです。さて、科学は個人を活かすのでしょうか。生かすのでしょうか。死ぬとわかっていたら生まれさせないことも出来る現代。
科学を信じている私だけれど神様もいると信じています。世界は運命的な偶然は実際に多分にあったから今の形になっているはずです。人間の可能性は無制限に存在しているに決まっています。情報の交換と淘汰は熱力学第二法則を微視的に無視するのはこの星が証明したと言えます。さて、人は神になれますか。
矛盾に非効率に人類はじきに百億人になります。
答えを知っている人は未だに存在しません。
正解を教えてくれる先生はもういません。
最後に。
子どもには無制限の可能性があるからこそ、人類には無制限の可能性があるのです。