徒花外連味

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「依田洋子と結城智恵の夏休み」

 今となっては夏休みや学生なんて言葉はノスタルジーを感じさせるものでしかない。学生時代の夏休み、恋愛で頭を一杯にできた最後の時期。たった二ヶ月の間で私たちの関係は変わった。思い出となってみれば、甘酸っぱい経験だったと言えるだろう。感情だけで行動できた、あの若さは私にはもうない。あの時私たちは確かに情熱だけで生きていた。きっと他の人だってそんな経験の果てに大人になっていくのだろう。青年期・大学生・モラトリアム。二回生の夏休み、最後のバケーション。誰にも渡すものかと、そんな感情は、思えば恥ずかしいことだった。私には、あの頃の私には、なんの力も、何もなかったのだから。十代最後の夏に、私たちの感受性は最高に高まっていて、顔どころではなく全身を真っ赤にしながら只只と未来の不安を忘れるためにひたすらに言葉と血を交換していた。

 私の名前は依田洋子。私と結城智恵の話を少しここに書こう。

 びっこ引く私はいつも目立っていた。よく音を立ててしまうし、遅い歩みは人の邪魔になるから。姿勢の悪い私は背が低いように見られた。小さくなりたかったので其れは好都合だった。165cm 短い黒い髪。半袖は着た事が無かった。図書館で本を読みながら背を正していれば別の意思で人の視線を貰うのも知っていた。整った顔をしているのを自覚していた。席を立って、私の動きを見て引く人の心もわかった。

 手を貸してくれる人がいても上手に歩けなかった。人に手をひかれていると、余計に足が痛んだ。感謝の笑顔は私にとって痛みへの反射だった。痛みなく歩ける相手は四人ほどの手だった。その内の三人は私の家族だった。一人、手を貸してくれたある人。歩く相性があった。手の相性だったかもしれない。驚くほどに楽に歩けるようになる手。それが智恵だった。

智恵は同じ学科の三回生で、同じ二年生の講義を縁に知り合った。同じ班になって智恵の名前を覚えた。自主性のない生徒の多い中でのグループワークで彼女は年長の役割を果たしていた。彼女は私の興味を引いた。だから私は智恵を見かける度に声を掛けるようになった。構内のベンチや図書館で話をする仲になった。それから智恵と時間を共にできるようにと、私の生活は小さなところから見直されたりした。

二人きりの時間が多くなった。互いに一人暮らしをしていたので夕食を一緒にしてそれから語り合った。散らかった、何も無い私の部屋ではより合って笑った。片付いた物の多い智恵の部屋では智恵の好きなものや趣味の道具で私は手遊んだ。私は智恵を好きになっていった。尊敬していた。私にはない、自分の意見というものを持っていた。私には作れないものを生み出す智恵の手は綺麗だった。智恵の全ては純粋で、綺麗だった。

そして夏休みがきた。与えられた自由に、私が求めるものは智恵との距離を縮めることだけだった。ずっと私たちは私たちの部屋にいた、そもそも外出をしない私だったけれど。智恵は出かける日もあったけれどそんな日は彼女の部屋で過ごした。

お盆にはいい加減な帰省をした。家族を大切にするように、智恵に言われたから。

会えない時間がなんとやら、たった数日ぶりの彼女との再会。堰が切れた。

私には智恵が必要だった。智恵だけが必要だった。智恵だけで十分だった。智恵という個人を私だけのものにしたかった。智恵の声を独り占めしたかった。智恵の手以外に触れたくなかった。智恵に誰にも触れさせたくなかった。智恵の言葉が欲しかった。智恵の人格を理解したかった。智恵の全てを求めていた。智恵に私と同じような気持ちを持って欲しかった。私の気持ちは一晩口にされた。異常な感情なんかじゃないかと不安だった。嫌われたらと怖かった。私は殆んど泣いていた。

手を取ってくれた。一緒の布団で手をつないで少し眠った。夢ではなかったと思うけど、本当のところは定かではないけれど、私は眠っている智恵の口唇を触った。

いつものように私が先に目が覚めた、もう時計はお昼前。いつもの習慣で朝食を作って、智恵を起こしにいく。眠っている彼女を見つめる。ドキドキした。見ている間に、智恵の目が開いた。智恵が微笑む。ご飯を食べた後、私たちの関係はどうなるのだろう。

スーツを着た智恵を見送ってから、私は一人近所の大きな公園に来た。いつもの木陰のベンチ。夕方まで景色を眺めていた。頭の中にはなにもなかった。「夜まで待って」と、智恵にはそう言われた。夕方になって私は自室に戻る。何も手に付かないままに時間が過ぎるのを待っていた。

智恵が部屋に来て、答えを待つ。智恵の意思を待つ。智恵は口にする。私たちの理想の未来を。私を連れていきたい場所、私に作ってあげたいもの、私と一緒にしたいこと。智恵の言葉の中に、智恵の中に、私がいた。やっぱり泣いてしまった私を智恵は抱きしめてくれた。こんなに他人に近づいたのは初めてで、暖かくて仕合せで、私は涙を止められなかった。ずっと抱き合ったまま、智恵にも私の涙が移る。互いに雫をぬぐいあう私たち。生まれて初めての体液の交換。心軽くなって、満たされた。

一週間位の間、私たちは家から一歩も外にでなかった。恥ずかしい秘密の時間を織っていた。八月が終わる。

堕落を自覚して私たちはルールを作る。昼間は外に出ること。公園・プラネタリウムアクアリウム・美術館・展望台・喫茶店・趣味のお店、二人ならどこにでもいけた。一年前に買い与えられた私の黄色いドイツ車はこの夏でその走行距離を何倍にもした。智恵は私の愛車を黄色ちゃんと呼んだ。施設で借りる車椅子の名前はいつもマッハ号だった。彼女にはネーミングセンスだけはなかった。

夏休みの終。私たちの決めた、いや知恵の決めたルール。一つ目は昼間は外へ出かけること。二つ目は夏の終わりに私たちの関係を終えること。私と智恵はそれぞれ新学期を迎えた。

別れた後は気まずくて、手を取ってもらうなんて出来なかった。一時だったけれど番いの真似をしてわかった事が沢山あった。わかった事から考えなきゃいけない事が沢山あった。弱い個体が生きている矛盾に気づいた。涙が武器、という言葉の意味に気づいて、反吐が出た。身体を重ねる事に逃げる気持ちを理解して、嫌な視野が広がった気がした。もっと、美人に生まれればよかった。生まれ変わったら智恵になりたい。

三回生の智恵は後期が終わると自主退学。その理由もその時の私には知らされなかった。それから今までの数年、電話でだけ、私たちは互いの生存報告だけ。

懐かし学生時代から、つまり私が社会に出てから数年が経った。最近になって私はやっと知恵のことを、知恵の体のことを知る。

大学当時の知恵の目の容態は安定していた。安定して症状は進行していたので、何時頃に視野がなくなるかも見当が付いていた。刺激の少ない生活を送れば大学三年生の終わりまでは生活に問題はないと言われていたらしい。その最後の時間を私にくれた。今は一人で何もしない生活を送っている。

「人という字は一人で立って歩めることを指すんだよ。支えるとか、支え合うとか、そう言うわけじゃないんだよ。そういうふうでは成り立たないんだよ。私たちは一人で人なんだから。」夏の最後に知恵は口にしてた。

 私は足が不自由で、知恵は目が確かじゃなかった。だから、二人が番になるなんてことは無理だった。

終。

 *わたしについて。

Author:Torno Kuyomo Reico
ともです。

江国湖畔に住んでいます。イタチ飼いでした。
嗜む程度に莨と珈琲依存。趣味は繰り返すこと。好きな人や物が多すぎたはずなのに、思い出せないのだわ。

風にあたると風邪を引く。





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